今、原発廃止は世界の常識となりつつあります。
私は、1キロ手前まで津波が押し寄せてきた地域に住んでいます。
或る方にメールしたものに手を加えたものをお届けします。
その前に一言。
私の実際の被害は微々たるものですが、棟瓦が連れて落ちたり、外壁を固定している釘が抜けて割れたり又、内部の、土壁が割れて落ち、クロス張りの下地の石膏ボード板に亀裂が入ルなどで余震のたびにポロポロと落ちてきたり、そして、3月11日当日には食器という食器が床に落ち半数が割れ、4月7日にも残りの30%位が割れた。また、1年間だけ楽しませてもらった37インチの地デジが割れて使い物にならなくなったり、今書いているパソコンも上からの落下物で外枠が割れていびつになっているが、幸いにも…ということで使用可能だったことには、胸をなでおろしたという程度であった。
津波被害にあった方々に照らし合わせてみればまさに、天国と地獄そのものです。
自然災害の前では私らの力はごくごく僅かなものです。目では見えない微粒子みたいなものでしょう。
私は三月末、荒浜の防波堤に立ってみました。眺める海は昔と変わりありません。陽に煌めき、穏やかで、泳ぎに興じる若者の声が聞こえてきそうです。
海を背にしてみると、一変した地獄の光景が飛び込んできます。木造の建物は何もありません。鉄筋コンクリートの建物は崩れ落ち、肌蹴た鉄筋は、ぼろ雑巾のようにコンクリートの塊と、人が今まで身にしていただろう布切れがまとわりついています。
何処がどこか、道路ですら隠れて見えません。
NHKの朝4時台の「明日への言葉」で話す、気仙沼の牡蠣養殖業者の一難から逃れ、それを目のあたりにした生々しい言葉はすさましいものがありました。
でも、最後に「初めの頃は皆、二度と此処には住みたくないと言っていたが今は一様に、もう一度ここに住み、海の仕事をしたいと言っている。」「森は海の恋人。森に日本の木を植えることで、雇用を生み出し海が生き返る。」
私はこれをお聞きして村井知事の威勢よく打ち上げた産業特区」構想を思いだし
県内にある漁港を集約し、大企業の参入を可能にする知事構想。採算が合わなければすぐに撤退することは工業団地の誘致企業の例で明らかです。漁民たちの反対の声に耳
を傾けず、お隣両県の知事とは正反対です。主人公は被災者ではないのか。構想を描くものは、被災地は目にしていても、自分の立場でしか物事を考えられない方なのだろうと私は思う。
今、国会の中にしたって、首相降ろしのゲームに興じ、被災地で苦しんでいる方々の気持ちは無きに等しい悲しい限りである。
管も管だが、自民党公明党は、原発を推進した張本人でしょう。それが、管降ろしのゲームとは・・・。
地震・津波は天災だが原発被害は人災と、原発誘致派だった福島県知事も科学者も一様に、今になって反省し騒いでいます。私は今、女性が大きい飼い犬に引きずられ、犬もろ共列車に轢かれて亡くなった三十年前の仙台市若林区の行人塚踏切近くでの人
大企業と、政治家の思惑のまま推し進めてきた原発。今、人間の手でどうすることもできない状態に引きずられています。犬の事故のように、人の手に負えないものを操ろうとすることがそもそも誤りであり、思い上がりではないのか。安全神話優先でしたから、事故対策が成されていなかったのもまた、当然です。
今、ドイツもスイスも原発の廃止を決定し、イタリアでも廃止是非の国民投票が行われ、50%の投票率で98%の廃止賛成の結果でした。
孫子の代まで「廃路」の道を残すのか、「廃炉」の正道を進むのか、日本は、今こそ考え時ではないかと思うのですが。世界の趨勢は原発ノーです。

